ジョージ君ありがとう

みんなに愛されていた犬だったのでどうやって報告していいか分からなかったのですが、この場で伝えるのが一番かなと思ってこうしてブログを書いています。

先週の土曜日9月12日にジョージは、僕たちの手の届かない世界に旅立ちました。あまりにも急だったので、今でもそれを信じることができないのですが、どうやら受け入れなければいけない事実のようです。
どうやって受け入れていいのか分からないけど、ジョージが教えてくれたたくさんのことと、ジョージが与えてくれたたくさんの愛をいつまでも大切にするために、ジョージがもういないことを受け入れなければいけない気がしています。

ジョージはとっても寂しがり屋で手のかかる犬だったから、いっつも一緒にいてあげました。そして、それが自分にとっての喜びでした。一緒に時間を過ごして、話しかけて、たくさん歩いて、ドライブして、時に怒って、時に謝って。こうして、僕はジョージから「愛は行為なんだ」ってことを教えてもらいました。あんなにたくさんのことをしてあげて、あんなに心配して、それでも何にも求めないことがあるんだってことを教えてもらいました。僕は、ジョージがジョージでいてくれるだけで本当に幸せでした。


こうしてジョージのことを考えているとたくさんの思い出が蘇って、涙が溢れてきてしまいます。
初めて会ったのは、北海道のジョージの実家でした。他の兄弟と一緒だったから、どれがジョージだったかは分からないけど、あのクリクリのムクムクの子犬の中に、ジョージがいたかと思うとそれだけで幸せな気分になるほどかわいかったです。
暑い日も寒い日も一緒にたくさん散歩しました。雨の日の赤いレインコート姿も、お尻を振りながらプリプリ歩くうしろ姿もあまりにも見慣れた僕とジョージの通勤風景です。
プーリーというハンガリー産の珍しい種類の犬で、小さいときはテディベアのような毛をしているのですが、大人になると毛がまとまって、ドレッドヘヤーでボブマーリーのようになります。街行く人に「モップみたい」と言われてしまっていたけど、ゴミやら落ち葉やらジョージが持って帰ってくるのを取って上げるのも日課の一つです。雨には乾きにくいし、夏は暑すぎて昼は散歩できないし、そのくせ外じゃないとトイレもできないし。本当に手のかかる犬だったけど、ジョージのことを考えてしてあげている時間は、僕が一番愛情に溢れていた時間でした。



「待て」って言われればずっと待っているし、一人ではトイレに行けないし、嬉しいときは尻尾をブンブン振って飛びかっかってくるし、そんなジョージのけなげな愛情が僕に与えることの喜びを教えてくれました。

雨の日になると少し、生乾きの洗濯物のにおいがして、そんな臭いですら愛くるしく思うほど、僕はジョージを構成する全てを愛していました。一人でいることが苦手だったジョージは、僕が帰ってきただけでも狂ったように喜んで、僕の体を駆け上がろうとします。そんな姿にもう会えないかと思うと、今自分の周りにある大切なものを、精一杯大切にしたいです。


今ジョージが話せるなら、僕の隣に来て「悲しくないでしょ」って言ってくれているような気がします。毎日一緒に通勤して、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、いろんな人に可愛がってもらって、みんなと一緒に笑って。ジョージは本当にたくさんの人に愛されていたから、とっても短い人生だったけど本当に幸せだったと思います。僕もジョージのような素晴らしい犬に出会えたから本当に幸せです。


最後の一年はあまり一緒に居れなかったけど、それは自分が選んだことだから後悔はしていません。けど、ジョージを最後に触ってあげた記憶がどれだったか分からなくて、最後に抱きしめてあげたかった気持ちは残っています。

ジョージ君ありがとう。ジョージにあえていろんなことを学んだよ。みんなに優しくありたいと思えるのは、ジョージがいてくれたからだよ。いまでも、君の事を考えると涙が溢れちゃうけど、たくさん愛していたからしょうがないよね。いつまでも愛してるよ。ありがとう。