左脳主導から右脳主導の社会へ

私は映画「マトリックス」が好きだ。映画という枠で捉えるのではなく、人生について考える学問、つまり「哲学」の新しい媒体だと考えても面白い。設定は人間が電力を生み出すエネルギー源として機械に支配される世界を描いている。我々人間は、催眠状態でカプセルに入れられながら頭の後ろからエネルギーを吸収されている。そして、人が生きていると思っている世界はマトリックスと呼ばれる機械が作ったプログラミングのことで、全員が共有する仮想世界である。人間が機械に支配されるという極端な未来を描いた映画ではあるが、台詞の一つひとつが示唆に富んでいる。それぞれのキャラクターも実社会にあてはまる比ゆ的な意味をもっていて、見れば見るほど学びがある。

マトリックス」の世界が本当にやってくるとはもちろん思っていないが、あらゆる場面で機械が人間に取って代わっていることは確かだ。インターネットの出現で情報をすぐに取り出せるようになり、左脳的な能力である記憶の意味が以前に比べて低くなっている。その代わり、記憶をつなげ論理を構成したり、全体像を把握するような右脳的な能力がより大きな意味を持つようになってきた。また、機械は最もすぐれた人間の何万倍もの速さで複雑な計算をやってのけるであろう。しかし、その一方で人の表情を読み取る能力に関しては、コンピューターよりも人間のほうがはるかに高い。同じことを繰り返しするような作業に関しては機械が完全に人間に取って代わり、人間はより創造性の高い仕事に従事しなければいけなくなっている。

脳は各部分で別々の動きをしながら人間の行動としては一つの結果を生み出しているので、これが左脳、これが右脳という風に分けて考えるのは難しい。ただ、より部分的な答えに集中する左脳的な思考方法よりは、より全体の中から共通点を見出す右脳の方が現代の社会に適合している。旧来の産業界では、統制の取れた指揮命令系統の中で一つの答えに集中して結果を出すような左脳主導型の能力が求められていた。簡単に言うならば、一つの問題に対して一つの答えを出し集中的にそれに取り掛かるような官僚的な能力が求められてきた。これに対して現代では、一つの事象から大きな問題を把握し全体的な問題を把握していくような、右脳主導の能力、いうならばリーダー的な能力が求められてきている。これからは、選択式の筆記試験型の人材の選抜方式だと機械と対抗するための優れた人材を見出すことができない。つまり、記憶や計算など左脳主導型の能力に関しては機械に委任することができるようになり、そのかわりにアートやコミュニケーション、人間性など今のところ人間しか持ち得ない右脳的な能力を社会が以前の社会とは比べようもないほど重要になってきている。

時代のアイコンと呼ばれる人を見れば、その世界がどこに向かおうとしているか想像がつく。これはファッションにだけいえる話ではなく、ビジネスについても同様だ。アートを比較優位の最高位に持ち上げ、統合的にビジネスを推し進めていったスティーブジョブスなどは、まさに時代のアイコンというにふさわしい。彼のような右脳主導型の人間が、次世代のロールモデルとも言えるだろう。

以上の話は、ほとんどがダニエル−ピンクの「ハイコンセプト」の第一章に書かれていることであるが、この本は今後の社会に対応できる人間とはどのような人かを考える上でもとても学びが多いので、是非是非読んで欲しい一冊だ。

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

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