相撲の記憶

20年以上ぶりに国技館に足を運んだ。当時はまだ両国じゃなくて蔵前だった。

父に丸一日母親と二人で接待された、「昭和の家族の特別な一日」の記憶だ。

座布団に座って焼き鳥を食べたことを覚えているから、1階の枡席だったんだと思う。枡席に座ると間もなく全員が立ち上がり、拍手で皇太子夫妻の入場を迎えた。自分の真上の席だった。取り組みについては全く記憶にないが、塩の撒き方が豪快な「水戸泉」を近くで見て、あまりのデカさに怖くなったことを覚えている。枡席で見るといろいろとお土産をもらえるらしく、うちでは「千代の富士」とか「北の湖」とか書かれた湯呑みやら小皿やらがしばらく使われていた。

相撲の後、多分浅草だと思えるところに落語を見に行った。当時は日曜日の夕方は「笑点」がお決まりだったので、目の前に大喜利メンバーが出て来てすごく興奮した。多分、生まれて初めて見るライブパフォーマンスだったと思う。木久蔵さんの軽快なしゃべりは、テレビで見るより遥かにキレがあった。

落語が終わってから、後楽園球場に向かった。父の旅行はいつも行き当たりばったりで、目的地についてから宿を探し始める。それが大嫌いだったから、僕は宿も取らずに旅行にでることは滅多にしない。その日の野球観戦も無計画の産物だった。「相撲と野球で『和洋折衷』だね」と母が言ったが、小学生の僕は中華が足りないと考えていた。3人でとりあえず球場に行き、父が仕事を終えて帰りそうになっているダフ屋を見つけ3枚チケットを買ってくれた。母が巨人ファン、というより原ファンだったので、見せたかったのだろう。父と僕はどちらかというとアンチ巨人だった。中に入った時には、試合はもう終盤に差し掛かっていた。相手は阪神。巨人が追いかける展開だった。寒かったか暑かったかも覚えてないが、とにかく球場に屋根はなかった。結局最後の最後9回の裏に山倉が三塁線にサヨナラヒットで巨人の逆転勝ち。父のエンターテイメントに花を添えた。


父はほとんど家にいない人だったので、こういう特別な記憶は頭の奥の方にこびりついているんだろう。国技館に足を運んだことで、その記憶がクリックされてよみがえって来た。相撲は見ている私たちにもドラマがある。