何によって憶えられたいか

今年はドラッカーの年だった。以前から日本人ビジネスマンには根強い人気があったドラッカーではあったが、「もしドラ」が流行ったことで一般の人にも相当浸透した。現在の日本にはマネジメントの欠如への危機感とそれを切望する期待感の現れであろう。

ドラッカーは生前日本式マネジメントを研究対象にしたし、日本文化に対しても造詣が深かった。そんな彼が今の状況を見て、日本に「もしドラ」を通じて伝えたいことを伝えにきてくれたのかもしれない。

そんな私も今年はドラッカー関連の取材をよく受けさせて頂き、ドラッカーの考えを取り入れたサロンとしていくつかの雑誌やテレビに取り上げて頂いた。昨日も雑誌「Big Tomorrow」からドラッカーについての取材を受けさせて頂いた。

昨日の取材は、自分がどのようにドラッカーの考えとつきあってきたかやどのように学んだことを活用してきたかなどを話させてもらった。取材の最後にライターの山本さんから頂戴した「あなたは何によって憶えられたいか」という質問が強く心に響いていた。

お分かりの人も多いと思うが、実はこの「何によって憶えられたいか」はドラッカーの本からの引用で、13歳の時に宗教の先生にされた質問である。ドラッカーは、この質問を問い続けることによって自分自身を若干違う人間として、しかしなりうる人間としてみるよう仕向けてくれる問いであるとし、生涯を通じてこの問いを自らに投げ続けたという。

私自身はこの質問に「日本人の英語力向上に貢献した人」そして、「日本が持つコンテンツの素晴らしさを世界に伝えた人」として覚えられたいと答えた。急だったので、これが的を得ているかは分からない。あの有名な経済学者のシュンペーターなんて若い頃は「ヨーロッパ一の美人の愛人」と言っていたくらいなので、まぁ僕の答えもこんな感じでいいだろう。

一年の締めくくりのこの時期に、胸の中にある自分の思いを形にしてみるのはいいことだと思う。

ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営

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